小説新人賞応募の記録

小説新人賞応募の記録~第1回「始まりは中二」

応募歴が長かったので、小説新人賞応募の記録をエッセイ風にまとめてみました。

少しでも新人賞応募者の方の参考になればと思っています。応募者以外の方も、普通に読み物として楽しんでいただければ幸いです。

1987年。

その年がすべての始まりだった――と今になれば思う。

中学二年生。もちろん「中二病」という言葉のない時代。しかし中二の僕は、その言葉の持つ意味を忠実に体現していた。

当時、担任の先生に絵日記を提出して、それにコメントをつけて返してくれるという企画があった。生徒たちは皆、日々の出来事を綴り、その様子を絵に描いて提出していた。

ところが、事もあろうに僕が提出したのは、「ファンタジー小説」。

しかも当時流行していたドラゴンクエストⅡをベースに、登場キャラは勇者や魔法使いに扮したクラスメート、ストーリーはベタベタのRPG、絵日記の絵部分はコマ割りを施したマンガ風という代物。

なぜ、先生の言うように、そして皆と同じように、日々の生活を記録した絵日記を書かなかったのか、まるで思い出せない。たぶん「こんな話を書いて提出したら面白いだろう!」という中二病的発想、というかそれしか思い当たらない。

ちなみに小学校の頃はバスケ部に入りつつも「漫画クラブ」というのにも所属していて、くだらない四コマ漫画を量産していた。それは始まりとは言えない程度のものなので、ここでは省く。

そして、ここからが肝心の「始まり」である。

「面白いだろう!」と鼻息荒く提出したものの、内心では「怒られるよな~」と思っていた。「どんな呆れたコメントが返ってくるか」などと妙な期待すらしていた。

なのに、それなのに、先生のコメントには「面白い! 続きが楽しみ」とあったのだ。

「え、マジで?」と驚きつつも、モチベーションは爆上げ。

毎日のように話の続きを考えては提出し、そのたびに感想コメントをいただく。しかも「誰が喋っているかわかりません。ちょっと手を抜いてないですか?」等という厳しいアドバイスをくれることもあった。

この「誰が喋っているかわからない」というのは、そうならないように今もかなり意識して書いている。まさに鳥の刷り込みである。

この時に「自分の書いた話を誰かが楽しみに待っていてくれる」「人に読んでもらう嬉しさ」のようなものを知った。

そういう意味で小説家を志す「始まり」だったと確実に言えるターニングポイントだった。その時期がたまたま中二だったにすぎない。

しかし二年生終了とともに、この絵日記企画も終わりを迎えることになる。

ターニングポイントと言いつつ、それから何年も、いや十年以上も何もしない時期が続く。次に創作らしきことをしたのは、インターネットが登場してからだった――。

第2回「だまされた?」につづく)

■新人賞応募者向け~今回のポイント
・ターニングポイントは誰にでも起こり得るでしょう
・誰がしゃべっている台詞なのか意識して書きましょう

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